神楽(鷲宮催馬楽神楽「土師一流催馬楽神楽」)
鷲宮の神楽が書物に登場するのは、『吾妻鏡』の建長3年(1251)の記事であり、鷲宮神社の神前で神楽を行ったところ見事な託宣(神のおつげ)が現われ、祈願が成就したといいます。しかし、この神楽が今に伝わるものと同じであるかは明らかではありません。 この他にも神楽を知る上で貴重な書物が残されています。一つは、享保11年(1726)、大宮司藤原国久の筆写による『土師一流催馬楽神楽歌実録』です。これには、神楽の中で歌われる催馬楽などの歌詞や神楽で使われる衣装、持ち物などが詳しく書かれています。 もう一つは、天保年間(1830~1843)に鷲宮神社の大宮司藤原国政が記した『鷲宮古式神楽正録』の写本で、神社の由来や神楽の詳細な内容が書かれています。これによると、藤原国久が廃れた祭祀を再興しようと「当社奥秘を社人に伝授」し、宝永5年(1708)に十二座神楽を行ったことがわかります。 これらの記録などから、現在の十二座の神楽が編成されたのは、宝永5年~享保11年頃、今から270~290年ほど前のことであったと推定されます。 なお、この神楽は、関東神楽の源流といわれ、江戸の里神楽の基礎を形成しました。『海録』(19世紀前半)という書物によると、当時江戸で行われていた十二座の神楽の原形に、「土師の舞」と呼ばれるものがあり、これは17世紀の後半頃江戸に入ってきたものであることがわかります。この「土師の舞」とは、十二座に編成される以前の鷲宮神社の神楽のことでありました。このことは、『鷲宮古式神楽正録』に書かれており、鷲宮側でもそのことが伝えられています。 |
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日本を代表する神事芸能である神楽とは、神をまつる音楽や舞いのことです。 古くは、神遊びといい、その語源は、カムクラ(神座)からきたと言います。のちに様式化・芸能化され神楽となりました。 鷲宮神社に伝わるこの神楽は、国の重要無形民族文化財に指定されています。一般に「鷲宮催馬楽神楽」と言われていますが、正しくは「土師一流催馬楽神楽」と言います。 「土師」というのは、「土師の宮=鷲宮」転訛説に準じたものです。また、「催馬楽」とは、平安時代に広く流行した歌謡で、この神楽の各曲目ごとに歌われます。 曲目は、以前三十六座あったといわれていますが、現在は十二座形式になっています。 曲目に大半は、記紀(『古事記』と『日本書紀』)の神話を題材としています。演劇的な要素の強い江戸の里神楽に対し、演劇的な要素はなく一種の舞踊劇となっています。 舞いは、二人以上の連れ舞いが多く、宗教味の濃い動作が含まれており、古い祭りの儀式や作法をしのばせる格式をもっている典雅な舞いです。 舞いの構成は、「出端」(序の舞)「舞掛り」(本舞)・「引込み」(終わりの舞)の三部構成からなっています。各曲目の特色は、「舞掛り」で表現されます。 神楽歌・催馬楽は、「出端」・「舞掛り」の間で歌われます。 |
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